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京都佛立ミュージアムの次回展示の準備がはじまりました。

  • カテゴリー:菩薩スタイル
終戦70年特別展示『トランクの中の日本~戦争、平和、そして佛教~』

いつものように生みの苦しみの中ではありますが、館長以下スタッフ一同、精一杯準備に取り掛かっています。

準備中、展示写真を見ていているだけでも心に迫るものがあります。焼き場に立つ少年をはじめオダネル氏の写真は原爆投下後の広島、長崎の現実を映し出しています。ひょっとするとあまり好んでみたがるものではないかもしれません。でも、目を背けたくなる現実こそが戦争の一端ではないかと思うのです。
だからこそ、今年この機会に、広島や長崎から離れたここ京都でも、ひとりでも多くの方に見ていただきたいと想い、作業を続けています。

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終戦70年特別展示「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして佛教~」
2015年7月7日~2016年1月31日
京都佛立ミュージアム 入場無料
平日 10時—16時 土日祝 10時—17時
休館 月曜日 (※但し、月曜日が祝祭日及び25日のときは開館、翌日代休。)

主催 京都佛立ミュージアム
協賛 本門佛立宗
後援 京都市教育委員会
協力 小学館、KIMIKO
ODANEL、サンマリノ共和国大使館、大原哲夫編集室、林風舍、宮沢賢治記念館、ジャヤワルダナ家、J.R.ジャヤワルダナセンター、広島平和記念資料館、日蓮宗大本山中山法華経寺、日蓮宗宗務院、本門佛立宗
由緒寺院長松寺(順不同)


1945年、若き米軍兵士ジョー・オダネルは、ヒロシマ、ナガサキなど焦土の日本を記録しました。非公式に私用カメラで撮った300枚のネガは帰国後、戦争の忌まわしい記憶と一緒にトランクに入れ、封印しました。「私はあの体験を語り伝えなければならない。」43年の時を経てトランクを開けさせたのは、彼の平和への願いでした。1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集めましたが、95年に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、アメリカ国内の在郷軍人の圧力でキャンセルされ実現しませんでした。スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録「トランクの中の日本」。ここにおさめられた写真から約40点を展示。同時に生きた仏教のミュージアムとして仏教が持つ、戦争と平和に関するアイデアを紹介します。終戦70年の節目に戦争と平和を考えていただければと思います。

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この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。
[ジョー・オダネル]

ジョー・オダネル(Joe O’Donnell)
1922年5月、アメリカ・ペンシルバニア州ジョンズタウン生まれ。1941年6月、ペンシルバニア州ジョンズタウン・ハイスクール卒業後、ジョンズタウン・デイリー・トリビューン社で暗室係として働き、その年の12月にアメリカ合衆国海兵隊に志願する。1942年2月より従軍カメラマンとして、ボストンのマサチューセッツ工科大学などで現像の技術を学び、フロリダ州ペンサコーラをはじめ、国内で航空写真撮影の訓練を受ける。1945年9月、占領軍のカメラマンとして広島・長崎その他、空爆による日本の都市の被災状況を記録する任務を与えられ、終戦直後の日本へ上陸した。その後、7ヵ月間、軍の記録写真とするために広島・長崎など焦土と化した日本各地を撮影した。1946年3月、帰国し除隊。私用カメラで撮影したフィルムを自宅へ持ち帰り、その見るにたえない悲惨な写真をトランクにしまう。1995年夏にスミソニアン博物館で企画されていた写真展は、アメリカ国内の在郷軍人の声、マスコミの論調などによってエノラ・ゲイ以外の展示が中止に追い込まれる。2007年8月9日、くしくも長崎の原爆投下の日、アメリカのテネシー州ナッシュビルで86歳の生涯を閉じる。同年8月長崎の原水爆禁止世界大会で同写真展が開催される。長崎原爆資料館に「焼き場に立つ少年」の写真が寄贈される。

あの日から半世紀、私はついにあのいまわしい記憶の詰まったトランクを開けた・・・・・・・。
Half century later, I finally unlocked the old trunk packed with haunting
recollections.






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