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松本 現薫

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  • カテゴリー:菩薩スタイル
お話を伺えば伺うほどさすがのご帰寂でした。

辻本尋一さん。妙福寺の局長のご奉公を全うされてからもお組内ではもちろん弘通部長のご奉公をされ妙福寺のご弘通を支えてくださった辻本さん。

80歳後半になられてご奉公を引かれてからはお家で療養を続けておられました。今日は朝からお昼にかけて車椅子に座って娘さんと普通に談笑していたそうです。看護師も訪問看護に来てくださっていつものようにお話をされていたのですが、「今日はお昼ご飯いらんわ」と言われ車椅子からベットに移ってから、息が荒くなり最後の一息を娘さんに看取られ息を引き取られたそうです。その臨終のお姿はお医者さんや看護師さんが驚くほど素晴らしいものだったそうです。さすが辻本さんです。

喘息がひどくて成人まで生きられないだろうと言われていました。この病気をなんとか治してほしいとお母様がお教化になったのがご信心との出会いでした。それからお助行をいただいて喘息もよくなり、戦争でも大きな御利益をいただいておられました。

そして何より奥様を病気で亡くされてからの局長のご奉公。家内がないようでは局長は務まらないと思っておられたので一度は辞退されたそうですが、先住ご内室薫奥様が「私が奥さんの代わりしてあげるから」とおっしゃり後押しをしてくださったそうです。そして何より娘さんが「ご奉公したらお母さんがよろこぶんちゃう」といわれ「よろこんでくれるか」と寂しさ癒えない心を奮い立たせて局長のお役を引き受けられました。

思い出はつきません。今年の夏、薫奥様との思い出をお話をしてもうために高岡さんとご自宅に伺いました。本当にお世話になりました。教えていただきました。お通夜告別式に御住職がいらっしゃらないのが心残りではあります。でも何とか御住職と連絡がとれご指示もいただきました。LINE通話ありがたいです。

今年は、小柳津さんが亡くなり、北川さんが亡くなり、そして辻本さん。薫奥様の二十七回忌。なにかあるなと思っていた一年のはじめ、こうしたお別れの年になるとは。無常とは厳しいものですね。でもみなさん、寂光で先住や薫奥様にご報告いただいているのでしょうか。

しょぼくれていては、「現薫師、しっかりしなあきません」と辻本さんに叱られます。安心してもらえるようにお見送りのご奉公をさせていただきます。本当にありがとうございました。


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