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松本 現薫

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本当の菩薩行

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  • カテゴリー:御題目口唱

春祭りの後、午後5時半頃から青年教務会は、本堂に集合しお看経。お看経に続いてコレイア御導師が青年教務会に講話をしてくださいました。短い時間ではありましたが、日水上人のご奉公ご苦労、そして、その後ろ姿をみて共に苦しみ、共に喜び合ったご信者方がいらっしゃったことをお話ししてくださいました。

伺えば、50年前に日本からブラジルにはじめて教務が派遣されました。遡れば、昭和30年、日水上人の求めによって佛立第11せ講有日颯上人が渡伯されることになり、随伴として清水日博上人が同行されました。この時の様子、ブラジルの日本人、在伯日本人の信徒の葛藤と活躍など清水日博上人の「コーヒーの壺」に詳しく紹介されていますがここで、日颯上人が当時の青年会であった松原シゲオ氏の看病を受けた時に、ブラジルの青年たちにもご信心を伝えなければと思われたと書かれていたと記憶しています。

そして、この時のことが遠因となり、9年後の日晨上人の来伯後の若手教務派遣に繋がっていきます。正式に教務派遣が決まったのは昭和40年に日水上人3度目の来日の時。第46回定例宗会に日水上人が出席され日本の宗門にブラジルでのご奉公が紹介され、海外弘通の意識が高まり、同時に韓国台湾のご弘通の報告などもあり、海外弘通対策委員会、海外弘通後援会が設置されました。その一環として、日本からの教務の派遣が決められ約20年間、若手の御講師方がブラジルのご弘通を担ってこられました。この年から日本の宗門とブラジルの開教庁が連携したご奉公がはじまりますが、それまでは昭和30年に日颯、日博上人が来伯された時に「伯国開教庁」が創立されブラジル本門佛立宗独自でご奉公が進められていました。

いまでこそ、日本とブラジルの連携をは密になっていますが、昭和30年までは日本も戦後の復興に力が注がれ、連絡もままなりませんでした。当然、日水上人のご奉公、ブラジルのご弘通の現状はわかりません。しかも、在伯日本人の戦後の傷跡は深く、勝ち組、負け組の問題はくすぶり続けていました。

そうしたタイミングで、日颯上人、日博上人がブラジルを訪れられたのです。
清水日博上人の「コーヒーの壺」には、「伯国開教庁創立」というところがあります。これは、日水上人のご奉公がようやく実りブラジル各地にご信者が増え、教務方の各地でご奉公をされるようになってきた一方で、各地の指導がバラバラであったりなど問題もでていました。そこで、日颯上人、日博上人が現地を周られ現地の声を聞き発案されたのが、大宣寺をブラジル本門佛立宗の本山とし、経済・物流の中心として発展しきたサンパウロ日教寺をご弘通の中心とし「伯国開教庁」の創立でした。この体制によってブラジル国内のご弘通の基盤を固め、組織的なご奉公体制を整えようとされたのでした。

こうしてブラジルのご奉公体制が設けられたのですが、本格的に日本が意識し協力体制が整えられるのは昭和39年に日晨上人と随伴に前回渡伯した清水日博上人、そして、西村現淳師、のちの佛立第18世御講有日地上人の訪伯を待たなければなりませんでした。その後、昭和59年(1984)に日水上人以来、はじめて在ブラジル教務の及川日在上人が教区長に就任されるまで実質的な日本からの教務派遣が続いたのでした。

そして、はじめて教務が派遣されてから50年後の今年。40名の青年教務が来伯しました。コレイア御導師は、この来伯は御宝前のお導き。個人的に行きたい、行きたくないというのではなくもっと大きな意志のもとで来伯があったのだと確信しています。50年かけて築かれてきたこれまでの日伯ご奉公の歴史は未来のご弘通の予言。これから50年の歴史が今日からはじまったのです、とお話しくださり、胸が熱くなりました。

講話では、日水上人の人柄を表すお話を聞くことできました。日水上人は当時、スーツに靴でご信者宅をまわっておられましたが、いつもズボンの裾が泥だらけで汚いことがご信者の疑問でした。直接、日水上人に聞くこともできないご信者は、御講が終わった後、日水上人の後をつけていったそうです。

すると、ご信者宅を出て見送りが見えなくなったところまで行くと日水上人が立ち止まります。何をされるのかと見ていると、おもむろに靴を脱いで、ご奉公カバンにしまわれたのです。そして、裸足でお寺まで帰って行かれる。もちろん、何キロも歩いて帰らなければなりませんが、その道中、靴をはいていたら靴底がすり減りせっかくご信者のご有志でいただいた靴が早く痛んでしまうので裸足でずっと歩いていかれるのです。スボンの裾が汚れるのは当然です。これが日水上人という人。ご奉公への姿勢。この姿をみてついて行かない人がいるでしょうか。共になんでもさせていただこうと思う。人がみていようが、いていまいが、自らに苦労を背負い御法のため、人のために身を尽くす、共に苦しみあうからこそ、共に頑張れる。それが菩薩行です。身命をなげうつご奉公。なげうてる御信心。この命をなげうたずに一生を終えらるものかという思いでご奉公させていただきましょう。

こんな講演をいただきました。時折、涙を見せてお話くださるコレイア御導師のお話、我々教務への何よりの御折伏でした。ここに参加した青年教務はきっとその意味を感じたはずです。

そして、午後6時から本堂で木村お導師のご講演。仏教とキリスト教の違い。仏教の歴史や人生の問題に対する仏教徒としての向き合い方、宗教の枠を超え平和を求めなければならないが、より一層仏教徒としての自覚をもってご信心に励ませていただくことが大事と、ユーモアを交えて講演をくださいました。最後は、満堂の本堂が割れんばかりの拍手で講演会を終えました。

翌日は、いよいよブラジル最後のご奉公、佛立聖地で「ブラジル青年家族大会」、「平和の鐘・宝塔の建立地鎮式」。

飛行機の中で時間に任せてダラダラと書いてしまいました。

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