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父のこと~母との出会いと結婚まで~

  • カテゴリー:法灯相続(家族)

~以前、父についてFaceBookで少し語りましたが、詳しく聞きたいと仰ってくださる方がいたので、みなさんのご信心の、また人生の参考にでもなれば(おそらく笑いになりますが)書き込んでいきたいと思います。書き溜めている訳ではないので更新が滞ることもあるかもしれませんが、そこはご了承いただきたく思います。

 父の事を語るのに、少し僕の家庭環境とか幼少時代に触れながら進めたいと思います。

 僕は福岡県の北九州の門司という九州最北端の町で生まれ育った。実家は今でも携帯が通じないような山奥にある。父は左官屋で職人気質の男だった。母は祖母と「ひまわり食堂」という食堂を小倉南区で営んでいたようだが、結婚当時すでに食堂はやめており仕事はしていなかった。母方の祖父が当時工務店を経営しており、仕事の打ち合わせで父が母の家を訪ねたことがきっかけで交際が始まったそうだ。

 母がある時笑いながら「あんたは魚の骨のおかげで、生まれてきたみたいなもんちゃね。」と言っていたのだが、父との出会は魚の小骨に由来するのだ。 

 ある日、父は仕事の打ち合わせをしようと、工務店へバイクで向かった。ちょうどお昼を過ぎた頃で、魚を焼く臭いがしていた。打ち合わせも終わり帰ろうとすると、その工務店のお嬢さんが魚の小骨がのどに刺さり、それが取れずに苦しんでいることを聞いた。父は「やったら俺がバイクで病院に連れてっちゃるよ。」工務店のお嬢さんは父の運転するバイクに乗り、父の背中につかまって病院へ行ったのだ。それがきっかけで父と母は交際が始まった。長男と長女。貧乏で苦労してきた二人が結婚を決めるのにそれほど時間はかからなかった。 

 母の家族は熱心な本門佛立宗のご信者だった。貧乏な生活の中でご信心は希望の光だった。ところが祖父母には母を長女に三人の娘で、跡継ぎとなる男子が生まれなかった。そんな折りに、岡秋子さんという方がご信心を勧めてくださり「お題目をお唱えするとご利益があるんよ。」と熱心に話してくださり、祖父母は素直にご信心を始めたのだ。その頃、ちょうど祖母が妊娠したことが判った。ところが祖父も祖母も「貧乏な上にまた女の子だったら養えない。堕胎しよう。」という事に決めてしまった。ところが組長さんから「ご信心を始めて授かった子供だから堕したらダメよ。」と言われ、当時受け持ちの教務だった藤田御講師からも「生みなさい。もし生んで女の子だったら、私が養女にして育てるから生みなさい。」と言われ祖父母は決心して四人目を産むことにしたのだ。その子が前田家待望の男の子だったのだ。母は年の離れた弟を溺愛して我が子のように可愛がった。そうして、貧乏ながらも楽しい家族六人の生活となったのだ。

 この母方の祖父は苦労人で祖母と結婚するまでの経緯は、まるでドラマのようだが、今回は割愛して父の話を進めようと思う。もし希望があるようなら祖父母のドラマも語ってみたい。

 祖母もさることながら祖父も熱心にご信心をしていた。今現在の不軽寺の本堂が建立されるとき先住の刈茅日鏡上人から呼ばれたことがあった。そこで先住から「このお金で新本堂の基礎工事をやってほしい。」とお金を渡された。ところが、どうやっても基礎工事などできる金額ではなかったのだ。祖父は仕方なく「御導師申し訳ございません。これではできません。」と申し上げると、「うん。それしかないから、それでやってくれ。」と仰せになり、父は基礎工事を受注しという。祖父が亡くなる前によく話してくれた。

 そんな母方の家族だから、母と結婚する相手の父にご信心を勧めないはずはない。これは僕も姉も生まれる前の話だ。結婚してすぐの頃、父は祖母から再三自宅に御本尊をお迎えするよう勧められていたが、「俺は婿に来た訳やないんやけ、なんで嫁んとこの信心せんといけんのかちゃ!」と頑なに拒否し続けていた。もともと西田家は浄土真宗で、いつの頃からか西田の祖父は創価学会だったようだ。

 母方の祖母の願いも虚しく、父は自宅に本門佛立宗の御本尊をご奉安することを拒み続けていた。そうして、父と母が結婚してすぐの頃、父が胃潰瘍で入院した。当時、母は仕事をしていなかったから、すぐに生活は困窮した。

 両親が亡くなって、わずかな財産整理をするために区役所に行って調べてみると、当時半年間ほど生活保護を受給していた時期があった。まさに父が胃潰瘍で入院した頃だ。

 祖母は娘可愛さもあって、熱心に父にご信心を勧めたが、父は頑として祖母の話を聞かなかった。それでも、しばらくすると胃潰瘍は回復して無事に退院することができたのだ。父は「信心なんかせんでも別に困ることなんかない。」と思ったに違いない。ところが、今度はギックリ腰になってしまい仕事ができなくなってしまったのだ。しかもかなり悪かったらしく、起き上がることもできず寝たきりの状態になってしまったのだ。退院してすぐの事だったから父も無理をしたのかもしれない。

 父が死ぬ間際に僕に言い残した言葉がある。「あの時(父が寝たきりの時)お母さんが枕元にきて、子供授かったけど堕ろしたよ。って言いよったけ、お前たちには、もしかしたら兄さんか姉さんがいたかもしれない。」「えっえっー!!」衝撃的な告白だった。確認をすると祖父母にも話していなかった。母は生活苦で出産費用が無かったために最初の赤ちゃんを諦めていたのだ。しかも父が寝たきりで、一人で悩み苦しみ決断して行動していたのだ。強い母だと思った。

 まったくの寝たきりになってしまった父の元に、祖母がやってきて「正雄さん。もういいかげんに認めなさい。御本尊をお迎えしたら、すぐに腰がたって仕事ができるようになるんよ。」続く不幸と祖母の熱心な勧めによって、父はとうとう御本尊をお迎えすることを認め、ようやく西田家に本門佛立宗の御本尊をお迎えすることができたのだ。

 そして御本尊をお迎えしたその日に腰が治り、次の日から仕事に行くことができるようになったそうだ。本当に不思議なこともあるもんだと思うが事実である。以来、父は長くお題目をお唱えすることはなかったが、毎朝仕事に行く前には「無始已来」のご文をかかさず唱えて現場に向かうようになった。

http://ameblo.jp/tohkoh55/

 

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