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日曜日の雨

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  • カテゴリー:御題目口唱

日曜日は高知の佛立寺で門祖会が勤められた。生憎の空模様だったけど、それだからこそ気づけることもあると思い、私はありがたく思っている。
もちろん、どちらかと言えば、晴天のほうがいいとは思う。しかし人間には、病気になって初めて気づけることがある。痛み、苦しみ、悩みを体験してこそ真摯に自らを省み、叱ってくれる人がいるからこそ自分の非を改められるもの。その先に、人間的な成長があるのだろう。

良いことが続くのは幸せだ。しかし順風満帆な日々に、自分の至らなさを感じることは極めて困難。モノにつまずき、アタマを打って、そうした一見不幸な日々が自らを成長させてくれる。そう思えば、一体何が幸せなのか、どんなことが起こるのが良いことなのか、分からなくなる気もする。

いずれにしても、日曜日の雨には、その場に居合わせた私に対して、何らかのメッセージが込められている。

諸手を挙げて歓迎するような良い出来事も、自分に都合が悪くて受け入れがたい出来事も、目の前にあらわれるすべての事象は、自分へのメッセージだと捉え、その声に耳をすましてみる。そうして日々、自らを省み、次の一歩を踏み出す方向を見出していく。そのガイド的役割が仏の教えであり、それを間違いなく伝え、指し示していくのが僧侶の役割である。

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